知らないおじさんと一緒に寝た話・前編

2/29という4年に1度のこの日、これを逃すわけには!ってことでブログを書くことにしました。
…といってもネタがこれといって浮かばないので、昔の話をします。
まだ新潟の会社で働いていたときの、出張中の社員寮での思い出話です。

社員寮に入るまでの経緯

入社して半年くらいたったあと、いきなり「東京に長期出張して仕事してくれ」と営業から要請がありました。長期出張と言ってもしばらくホテル暮らしとか単身赴任とかそういうのではなく、以下の様な感じのものです。

  • 月~金は、東京で仕事
    • 浜松町のあたりにいました(どこの仕事がバレるな)。
  • 金曜夜に新潟へ帰る。交通費などの精算書類・報告書を自社に提出し、月曜朝にまた東京へ
    • つまり毎週新幹線に乗ることになる(トンネルばかりで退屈)
    • ちなみに提出書類はすべて紙媒体で出すことになっている
    • 金曜夜、自社が閉まっていた場合は土日出勤(まあ1時間程度で終わっちゃうんですけど)

一見するとかなりむちゃくちゃです。新幹線代だけでも馬鹿になりません。東京の会社の人をもっと安く雇えたような気もします。ただ前の会社においてはこんな感じの勤務をされている方は10人に1人くらいはいましたし、当時は別段不思議に思うこともなかったです。まぁそういった方は「顔を見たことが1~2回しかない」状態になりがちなんですけどね(無論、自分もその仲間入りを果たしました)。

月曜~金曜はホテルを予約してそこを拠点にすることもできたのですが、いちいち探すのが億劫だっので、出張者用の社員寮を利用することにしました。寮生活の勝手がよく分からなかったので、以前同じように長期出張していた先輩に寮の設備などについて軽く聞いたのですが、「風呂が共用」と言われたのが印象に残っています。
ひょっとしてプロ野球選手の寮みたいに共同の浴場があるのか?
食堂があって、オバチャンが夕食を振る舞ってくれるのか?
みたいな想像もしましたが、とにかく実態がよくつかめない。
まぁ寝る所があればなんとかなるだろう…。そんな風に考えていましたが、その予想は斜めに裏切られることになります。

寮って名ばかりじゃねーか!

初日の仕事を終え、渡された地図を元に寮へと向かいます。「ま、風呂や食堂が共同でも寝室は個室だろうし、気楽にできるわ」と思っていたのですが、地図で示された場所へ向かうと普通の団地がありました。

この時点で、「何かがおかしい」と察し始めました。

指示された番号の部屋の鍵を開けて入ると、中はフツーの3LDKです。もともと家族向けに建てられた団地だと思われますので当然のことです。しかし考えてみると、「ひとりだけで3LDKを丸々使う」というのは非常にもったいないことです。「LANケーブルの爪が割れたから買い買えて欲しい」→「セロテープで固定して使え」をお達しが会った会社がそんなことをするわけがない。

つまり、3LDKに他の方々と共同生活をすることになった。

プライバシーもへったくれもあったもんじゃない。耐えられるだろうか不安になりました。

部屋の設備自体は、元の3LDKの部屋となんら変わりはありません。ロッカーが置かれて荷物置き場にされているくらいです。冷蔵庫・コンロはありましたが鍋や調理器具、炊飯器は見当たりませんでしたので自炊は無理そうだ(もっぱらする気もない)。トイレ・風呂も当然1つしかないので、共同ということになります。これで謎は解けました。

ひとまず最初の夜を迎えるに当たり、寝床を確保する必要があります。3LDKには5人が寝泊まりできるようになっていました(結構過密な気もする)。洋室にベッドが1つ、6畳程度の和室にベッドが2つ、4畳半程度の和室に布団が2つ。
他がふさがっていたことと、当時出張している社員の内一番若いのが自分であったことから、4畳半和室の布団を拠点とすることにしました。

布団を敷いてみて感じたのですが、4畳半の部屋にふたり分の布団を敷くとすごくスペースがギリギリです。隣の布団との距離は10cm程度しかありません。新婚初夜の夫婦じゃあるまいし。しかも隣りで寝るであろう人はほぼ確実にオッサンであるという事実が気分をより憂鬱にさせました(女性社員はプライバシーの効いたホテルなどを勧められるそうな)。

以上が、寮生活するまでの経緯の話です。これが1年半ほど続きました。
その期間中のエピソードなどをいくつか抜粋して、次回の記事で紹介します。

ネタバレ: 処女は無事です