下記の記事の続きとなります。なかなか書けんかった。
これまでのあらすじ。出張で社員寮に泊まったらナンカチガウ。
オッサンどもとの暮らしぶりはどうでしたか?
そんなこんなで奇妙な寮生活を始めたわけですが、開始時期がお盆だったのであまり人がいなかったんですね。なので、最初の週はあまり共同生活という実感は湧いてこなかったんです。
本格的に始まったのは次の週からでした。まず、月曜夜に寮につくと一番乗り(自分の帰宅が一番早いってのはよくありました)。と言っても別の方が使っていたベッドを取るわけにはいかず、同じ4畳半和室の一角に布団を敷きます。ちなみに布団干しや寝具の洗濯、部屋掃除などは土日に清掃員の方がやってきて済ませてくれるそうです。
まぁ他のおっさんたちに挨拶くらいはしとくか!となるのですが、これがまたなかなか来ません。23時くらいになって「もう知らん!俺は寝るぞ!」となったあたりでやっとひとり帰宅してくるくらいでした。あとから聞いたところによると、出張されるような方ってほとんと激務激務な現場みたいなんですね…(私のところは平気でしたが)。おまけに「出張中は定時働いたものとみなす」と確か就業規則にあったので残業代も出てないんじゃなかろうか(いちおう出張手当と宿泊手当は出る)。
そんなこんなで1年半ほど寮ぐらしをしましたが、同じ寮のおっさんたちとはそんなに絡まなかったなぁと今振り返ってみて思います。「酒飲むから付き合えや」みたいなことを言う人は一人もいませんでした。言ってしまえば相互無干渉。会ったら挨拶くらいはする。思えば自社でも似た雰囲気を感じていました。社員同士が全然絡まない(時折挨拶もしない)というか。
まぁ部屋は適度にボロくてホコリだらけのところもあり(ちゃんと掃除してるんか…?)、ゴキが出たことも2回くらいありましたが、住めば都じゃないですけどそれほど気にせずに過ごせたんじゃないかな、とは思います。
僕の隣で寝た人たち
ちなみに、タイトルにもある「一緒に寝た」についてここで説明すると…
僕の「城」があった4畳半の和室には布団が2つ敷けます。1つは僕で、その10cm隣にもう1つ布団が敷かれることとなり、ここに寝る方がいる場合、非常に近い距離で僕と頭を並べて寝ることになります。寮は殆どの時期定員5名いっぱいだったので、けっこうな時期のあいだ、僕といっしょに寝たおっさん(素性を知らない人含む)がいます。順に紹介していきます。
他事業所のオッサン
実は少し顔を知っている程度の間柄でした。まぁ特に話すこともなかったですけど。社内でも有名な炎上現場に長く関わってる方で、基本的に終電に帰ってくる感じでした。僕はだいたい日付の変わる直前に寝てしまうのですが、夜1時頃に突然僕の眠る部屋の電気がついた!と思ったらこのオッサンが帰ってきている…っていう光景を何度も見ました。安眠妨害甚だしいですが、僕は部屋の入口に近い方に寝ていた関係で、電気をつけずに部屋に入ると誤って僕を踏みつけてしまう可能性もなくはないので、この方なりの優しさだったのでしょう。
寝言のひどい方で、何度も深夜に起こされました。日中の勤務でだいぶやられているのだろうなと思いました。でも「180cmもあんの!?」って寝言は一体どんな夢を見ていたのでしょうか(けっこう大声だったぞ)。結局この方は数ヶ月くらいは私の隣の布団にいたのだと記憶していますが、結局最後まで終電帰りは変わらなかったようです。今でも生きているんだろうか。
協力会社のオッサン
とうとう同じ会社ですらなくなった。こうなるとますます素性が分かりません。この人も例に漏れず激務でした。寝言の方といいこの方といい、いつも疲れた様子だったので「ああ、この会社にいるとこんな感じになるのか…」と幻滅してしまった記憶があります。それが転職の1つの契機になったのかもしれません。
この方も帰ってくる時間帯としては同じくらいでしたが、特徴としてイビキが尋常でないレベルというのがありました。やっぱり何度も深夜に起こされました。寝言は一言でおしまいでしたが、いびきは基本エンドレスで続くのでタチが悪い。結局睡眠時間を1時間位ロスった日もありました。
というか、どいつもこいつも睡眠に関して難がありすぎるだろ!
その他、協力会社の更にオフショアの中国人の方も隣で寝ていた時期も会った気がしますが、特にエピソードもないので省きます(正直ほか2人に比べ平和に眠れたのでイメージはすごく良い)。
寮の設備とか
- お湯が45℃とかなのでシャワーが熱い。がこれもまた良い。
- でも銭湯とか寄って行くのもありだったなぁ…
- 畳も布団も硬いので、寮生活を機に腰を痛めることになる
- タオルを腰のあたりに敷いて寝ると良いらしい
- トイレがイカ臭い。
- ネカフェのトイレの臭いがする。
- 冬はこたつを出してくれた
寮生活で嫌だったこと
まぁ帰りが早かったのでプライベートな時間は割とありましたが、ネット回線が通っていなかったので、例えば自社のメールをチェックしたり書類を作ったりするのはもっぱら金曜(土日の場合もある)の帰社後でした。机らしい机もなく資格勉強がやりづらかったのもあります。
当時はあまりコードを書いていなかったので、この時期に「ネットで調べながらプログラムを書く」って経験ができなかったのが、後にガッツリしたコーディングの仕事に戻った時に大変だったのに繋がる気がする。
あとはあれですね。いつ誰が帰ってくるかわからないのでおちおちオ●ニーもできなかったことですね!ただ寮生活中は一度も風俗に行っていないのは誉めていただきたいところです。
生活中は仕事も前向きにできていましたし、なにより好きなモノを好きなだけ食えたりしましたし、金曜夜も泊まって土曜に東京で遊んで帰るみたいなこともできましたし、変な暮らしでしたがそれなりに満喫できたんじゃないでしょうか。ただ、改めて書いてみるとやっぱおかしいわこれ。
機会があったら寮のあった付近のラーメン屋とか、行ってみようかしら?