最近思ったこと(2段構成)

最近感じたことを簡単に二段構成で書きたいと思います。Twitterにも書けるんだけど、すぐ流れてしまうのでせっかくなのでまとまった形で、あとから読めるような感じで書き残しておきます。

VTuberがポロッと言ってた、止まるという判断

とあるVTuberの配信を聴いていたときのこと。その方と仲の良い他のVTuberが体調を崩して配信を休んでいたのだが、それに触れての話だったように記憶しているが、こんな事を言っていた。

「あの子が、ちゃんと自分の事を考えて判断できる子で良かった」

VTuberの仕事がどういう感じかというのは想像の域を出ないんだけれども、多分本人の裁量でいくらでも頑張れてしまうものなのかなと思う*1。ましてどんどん新しい人がデビューして、辞めていって、走り続けないと淘汰されてしまうような厳しい世界。限界を超えてしまうくらいまで頑張っても、自由裁量の範疇に入ってしまうんだろう。

そんな中で一旦歩みを止める判断を下すというのは、すごく勇気が要ることなのかもしれない。この人がかけた言葉には、そんな勇気を称えるような心優しさを感じたのだった。とても思慮深い人なのだなとも思った。ただがむしゃらに、無理をしてでもやるのも(古き良き)美徳なのかもしれないが、「また走り出すために一時だけ休む」という判断は自分も尊重したいし、受け入れられるべきだと思う。

これは何もVTuberという特殊な仕事に限った話ではないと思う。身の回りにも教師とか記者とか、「社会的使命感」の高い、それこそいくらでも頑張れてしまう仕事に従事している人がいる。仕事に社会的な使命や責任を感じて熱心にコミットできるのならば、その人はいい仕事を得ているとは思う。仕事に打ち込めるのは幸せなことだ。前向きな心で金を貰えるんだし。

だけれども、自分の身を壊してまでやるべきか*2というのは、個人的にちょっと首を傾げてしまう。休んだり止まったりする判断が必要な場面はあるだろうし、本人が無理を承知で突っ込もうとしても周りが勇気を以ってストップをかけられるような、そんな仕組みがあったらいいのになと思った。

この国、怒る人が多すぎ問題

煽り運転を繰り返し、挙句の果てに他者に障害を負わせた者が逮捕された。いったいどういう思考が働いて罪を負うことになったのか想像がつかないが、おそらく今後の取り調べや報道で明らかになっていくものと思われる。

ところで、逮捕前の報道を見ると(主に見ていたのはYahoo!ニュースとか。TV見ないし)、件の加害者が被害者を罵倒して暴力行為に及んでいるドライブレコーダーのショッキングな映像をセンセーショナルに報じたものが多かった。

こういった類の映像は、たとえその罵詈雑言の矛先が自分に無関係であっても、全く見る気にならない。ひどく気分が悪くなってしまうし、自分に向けられた言葉でもないのに泣きそうになってしまう。同様の理由で秘書を罵倒する国会議員の映像も全く見ていない。だから、こういった場面をネタにして笑いを取ろうとする芸人さんとかをテレビで見ても、今ひとつピンとこないということがある*3。どうも得意ではない。いや、得意な人なんてきっといないんだろうけど、一刻も早くその場を去りたくなってしまう。

ところが、田舎を出て都会でひとり暮らしをしていると、怒りを抑えきれない人にしょっちゅう遭遇する。昨日も買い物に出かけた先の池袋で、なにやら周りの人に因縁をつけて怒鳴っている人がいたし(もちろん関わりたくないので足早に去った)、電車の中でも少し鞄や身体がぶつかっただけで取っ組み合いの喧嘩が始まるという場面にあったことも複数回ある(朝の満員電車なんかだと、本当に最悪だ)。

自分に無関係なら知らんふりしておけばいい、というのは頭ではわかっているのだが、どうもこういった状況に遭遇すると具合が悪くなってしまう気がする。一応「HSP」という言葉があって、自分はそれに当てはまるといえば当てはまるし、そのための思考方法も存在したりをする。それにしたって、怒りをあらわにする人、この大都会には多すぎじゃあるまいか。ストレス社会ここに極まれりといったところなのか?

科学的根拠はおいておいて、チョコレートのGABAを軽減税率の対象にするとか、むしろ医療費扱いで3割負担で購入できるようにするとか、国を挙げてのストレス政策を考えていかねばならんのかもしれない。

*1:アイドルや声優みたいに、マネージャーがスケジュール策定の権限を握っているVTuberもいるんだろうけど

*2:身体を壊してからが勝負、という風潮には明確にNOを突きつけたい

*3:暴力性を抑えて面白おかしくやっているのはわかるのだが、いかんせん元ネタの映像を目にしたことがないから「これなに?」というが先にくる