友人に勧められて、カウンセリングのようなものを受けていた。
そこで具体的に何をしていたかというと、自分の生活歴を振り返るといった取り組みが中心であった。各ライフイベントを分析し、今の自分の気質や性格がどのように形成されていったかを明らかにしていく。
生活歴を書くのも(分量的に多くなって)大変だったし、「このときはどう考えていたの?」「具体的にどんな感じ?」という生活歴の記載上の質問に対して答えていくのにも苦労した。人生のすべてを記憶しているわけではない。
ただ、その長いやり取りでも確実に得られたものはあったと思う。
カウンセラー?の方に言わせると、現在の気質や性格、アイデンティティ形成は幼少期の両親との関わり方に深く関係しているという。
自分の場合は「元来苦手としている」場面というのがどうしてもある*1。そのことで両親からはよく叱られる事が多かったように記憶しているが、その時の言葉は「男の子なんだからしっかりしなさい」「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」が多かったように思う。
ある日、学校でトラブルに巻き込まれ、困り果てた自分は両親に助けを求めたことがある。その時の答えも「男の子なんだからしっかりしなさい」であった。ひどい言い方をすれば、解決策を求めていたのに「責はお前にある」と突き返されたような構図だろうか。
こういった経験から「言っても無駄」「悪いのは自分だし、自分が我慢するべき」といった発想*2に至ったのでは?とカウンセラーは教えてくれた。感情表現が苦手なのも、嫌なことや理不尽なことがあっても悲しみや憤りをシャットアウトして「感じない」ことで自分を守っていたのでは?ということだった。自分が普段書く文章にも「感想」があまりないらしい。
これが過去、そして今現在の自分に対し厄介な害をもたらしているらしい。困ったときに自分の感情を汲み取れない、感情を要求に昇華できないから相談に踏み出せない、つまり助けを求めるコミュニケーション能力が不足しているという点だ。
診断中、「自分の中のもやもやと向き合って、時に他人の力を借りてそれを解決に導くのが『青春』だよ」と教えられた。その「もやもや」を抑え込んで、感じないようにして生きてきたのが自分で、いわば青春をしていないとも言える。
人生の様々なステージにおいて「助けを求めるコミュニケーション」が必要とされる場面というのは必ずやってくる(特に人間関係が複雑化する高校~大学以降)。こういったシチュエーションで、自分は感情をシャットアウトしたり、問題から回避したり逃避したり*3してしまい、それはそれはひどい結果に繋がってしまったという苦い思い出がある(1回や2回ではない)。
こんな感じで自分の人生が俯瞰して見られるような結果が示された。正直ショックとかはあまりなく、逆に自分の感じていた「自分はなぜ苦しいのか」*4という原因がある程度言語化されたので、すこし動きやすくなったような感触もある。原因が見えてくれば対策もしやすいので、じゃあこれからどうしようか?というのが次のステップであると思っている。
一応補足すると、自分がこんなに苦しんでいるのは両親のせいだ!と言う気はまるで無い。わがままを聞いてくれたし、奨学金なしで*5大学まで入れてくれたし、なにより今現在の関係は良好であるし感謝もしているからだ。今の問題は自分の問題だし、これから解決していけばいいじゃんくらいに思っている。
徒然と文章を書き連ねたが、実は上記の内容で診断結果の冒頭のサマリー部分、裁判の判決だと主文みたいなもので、残りの部分は自分の中で未だまとめきれていない。メモは結構取っていたので、メモをまとめ直しながら頭の中に整理して落とし込んでいくことにしたい。