15年の付き合いになるお友達

大切な友人が先日誕生日を迎えた。最近色々とキツそうで心配していたけれど*1、まずは無事に誕生日を迎えられて本当に良かったと思う。歳を重ねてもテンションが上がらなくなってくる年頃ではあるけど、まぁ自分が生まれた日であるわけだし、笑えて過ごせることに越したことはない。

振り返ってみると彼女(女性の友達なのです)長い付き合いになったなと思う。出会ったのは高校の同じ部活。今の人生の半分くらいは友達付き合いしている。これだけ長く続いている友達は他にはいない。マジでいない。たまーに帰省したときなどは、地元に残っている友達なんか皆無に等しいので、部屋に引きこもってゲームをしているだけである(親からは心配されたこともある)。

 

そういえば、仲良くなったきっかけはなんだっけ?同じ部活だったから、というのは理由として十分に思うけど(人数の少ない弱小部だったし)。同じ部活だった仲間内でも、彼女とは特に仲が良いのだ。

だんだんと当時の記憶が思い出されてきた。彼女は数学の授業に苦労しており、電話で「この問題が解けない」と自分によく聞いてきたのだった。自分も数学は壊滅的にできなかったのだが、幸い「問1」「問2」くらいは解けた*2ので、とりあえず求められている解法の説明まではできた。毎回すごく感謝され、そのたびに少しだけ誇らしい気分になった。

当時高校では数学の小テストがペットボトルのごみ回収日くらいのペースで頻繁に実施されていたので、テストが近づくたびに電話がかかってくる。携帯電話の画面に映る友の名を見ると「来たな」と思い、ちょっとだけ緊張はしたけど、一方で楽しみにしている自分もいた。高校時代の1ページである。

 

弊ブログにも何度か(存在・概念だけ)登場している。足マッサージの店を教えてくれたり、ヨガに誘ったりしてくれたのは他でもない彼女である。なんだったら一緒に野球を見たこともあるし(OAKvs日本ハムとかも)、今でも楽しい思い出を積み重ねている大切な友達だ。

共有しているのは「悩み」も同じことだ。互いに仕事・プライベート・人生そのもの、LINEで話していると、意外と2人の悩みは近似しているところもある。最近は苦しみながら生きている。コロナ禍でそもそもメンタルがポジティブな考えに至れないというのも影響しているのかもしれない。思考がぐちゃぐちゃになって疲れているのかもだろう。ふたりとも。休もう。

長くて暗いトンネルのような日を、とりあえず前に進もうとしている。その先は青空広がる関東平野なのか、はたまた重苦しい曇り空と雪に閉ざされた越後の山麓なのか。先に広がる景色は先に進んだ者しか見ることができない。

前のブログにも書いたけど、生きようとする=進もうとするのは苦しい。もうちょっと楽になるといいのにね!またちゃんこでも食べに行きましょう。2人でも3人でも4人でもいいですよ!

*1:俺は人の心配をしている場合なのだろうか

*2:逆に言うと、その子は解けなかった。それくらい苦労していた…