「新解釈・三国志」を見た ~ふざけてるけど、これはアリ~

先日「新解釈・三国志」を見てきた。

三国志とあらば、とりあえず手を出してみることにした。

shinkaishaku-sangokushi.com

まぁ、なんというか、その…。福田雄一監督作品ということで、事前に「勇者ヨシヒコ」を見てきたんだけど、それが功を奏したように思う。作中のゆる~い雰囲気はどことなく似ていて、「ヨシヒコ」に基づいた「あ、多分こんなものなんだろうな」という予想はなんとなく当たっていたように思う。むしろ「ついに日本で豪華キャストを擁した本格的な『三国志』作品が!」と息巻いて劇場に行ったら拍子抜けしてしまっただろう。

そりゃあ「新解釈」と名前をつければ何でもできるなと思った。あまり史書の類をきちんと読んだことがないけど、一般的に記載はそっけないものだ。本人の人となりとか、実際にどんな人物であった*1のか、どういった感情や思考を持っていたのかなどの記載は端折られている。

三国志(正史)の原文を一部和訳しているサイトから拝借。
(ちなみに映画には出てこない合戦の記載です。あしからず)

張遼は「孫権よ、下りてきて戦え」と怒鳴ったが、孫権は動こうとはせず、張遼の率いる軍勢が少ないと眺め見てとるや、結集して幾重にも張遼を囲んだ。張遼は左右に包囲陣を指差しつつも、まっすぐ前進して急撃すると包囲は解け、張遼は麾下数十人を率いて脱出することができた。残された連中が呼び叫んだ。「将軍は我らを見棄てられるのですか!」張遼は再び引き返して包囲陣に突入し、残された連中を引っ張り出した。孫権の人馬はみな披き靡き、敢えてぶつかっていく者はなかった。

【魏書十七, 張楽于張徐伝, 張遼伝より】
http://www.project-imagine.org/search2.cgi?text=wei17-1;lang=Jp;option=HrHc

張遼に怒鳴られたときの孫権のリアクションはどんな感じだったのか?なぜ張遼軍が包囲を打ち破り、張遼本人に至っては囲まれた味方の救出までできたのか?迎え撃つ孫権軍のテンションはどうだったのか?ここからは窺い知ることができない(もっとも、他の人物の伝などの史書を読み漁れば浮かんでくるかもしれないが)。この記載だけで芝居を作れと言われると、そりゃあ多少は「盛る」ことなしでは味気ないものになってしまう。

事実は史書に書いてあることだけではない*2。「史書に書かれてない≠嘘である」、「新解釈」のハチャメチャな展開を見ながら、ふとそんな事を考えた。「行間は自由だ」ということか。

問題はそれに予算と豪華キャスト&スタッフの悪ふざけがついてしまったことだ。舞台セットや戦闘シーンは力が入っているし見ごたえがある。物語を織りなす登場人物は、愚痴をこぼしたり、ナルシストであったり、そりゃあ短命だわという勢いで終始キレていたり、紛れもない佐藤二朗であったり、独特のキャラクターが爆発していた。ただあまり緊張感があるような作品ではなかった。「三国志」的にはドラマチックなシーンでも、ゆる~いギャグのやり取りですぐに押し戻されてしまう。終始そんな空気に覆われているので、無理に映画作品にせず30分くらいの連続ドラマにしてもよかったんじゃあ…?

三国志」を見に来た人には福田組のノリを見せられ、福田組に興味を持って来た人はそもそも三国志の基本的な設定・背景がわからない、ターゲットが見えづらいなんとも中途半端な出来になっている気がするのは惜しいが、キャストやスタッフの力量のおかげで初見でもクスクス笑いながら見ることができると思う。個人的には「確かに『実際のところはこういう人物だった』という解釈もありだなぁ」と変に感心してしまった。力を抜いて頭をそんなに使わずに観ることができるので、嫌いではないノリです。

一介の三国志ファンとしては、三国志に詳しくない人はこの映画を見たあとに「じゃあ真面目に三国志を描写するとどうなるんだろう?」と他作品に手を出したり、三国志そのものに興味を持つきっかけとなってほしいと思う。一方で三国志ファンは、中原の山河のごとく広い心を持って劇場に足を運んでもらえたらいいと思います。どうせギャグなんだし、「こやつめ、ハハハ」と笑い飛ばしましょう。ちゃんとした三国志が見たいなら、本場中国のドラマ見たほうがいいです。

※日がまだ浅いから、一応ネタバレにならないように気をつけて書きました。

*1:人物評、みたいな感じの記載しかないんじゃないか?

*2:ついでに言うと史書も100%の事実とは限らない。だって勝ち残った勢力の人間が書くことが多いわけだし、生存者バイアスというものだ。三国志とて例外でない