仕事がうまくいっていない、というのは前のエントリで説明した通り。だが、色々あるタスクのうち、嫌なものとそうでないものでくっきりと分かれてくる。
嫌だと感じるタスクは、最近新しく突っ込まれたプロジェクト(以下、甲案件とする)のもの。いろんな部署とやり取りをするため認識の違いや文化の違いがあり、とにかくトラブルが頻発している。
本来やるはずだったプロジェクトは自分が先述の甲案件に忙殺されているためか、全く手を出せていない。というか指示もないし予定変更の知らせもない。「やれ」と言われても「知るか」と言いたい。
一方で、普通の問い合わせだとか、事務作業だとか、毎月出している資料の作成は心平穏にこなすことができる。甲案件の日々のタスクが終わった後、茶でも飲みながら残業して1つ1つ片付けるくらいの精神的余裕はある。
この違いはなんだろうか。ふと疑問に思っていたが、ある時に気づきを得た。
昼食を買いにコンビニに寄った時のことだった。職場のある地はビジネス街ではあるが、コンビニ店舗の数はそれほど多くない。そのため12時過ぎは店が客でごった返す(稀に店の外にまで列ができるくらいに)。当然レジに詰めている店員たちの動きも慌ただしいものになる。
コンビニというのは本当にいろんな事ができるようになった。店員の仕事は弁当のレジ打ちだけにとどまらない。電子レンジによる加熱、ホットスナックの対応、公共料金の支払いなんてのもある。キビキビと、かつ臨機応変に動かなければ務まらないだろう。自分にはとてもできないな、と思った。
同時に、1つの思考の着地点が生まれた。甲案件のタスクも、これと同じではないかと。
甲案件は複数部署にまたがったもので、1チームのタスクが遅延すると別チームのタスクが渋滞するといった事態が往々にしてある。当然スケジュールは遵守である(遵守できてないが)。つまり、キビキビと動かなければならない。
更に、トラブルが現在進行形で頻発している。急ピッチで準備して急ピッチで着手したタスクであるため、参考資料に不親切な点が多々あり、想定外の結果も平然と発生する。その度に報告→調査→対応と行わねばならない。つまり、自分の思いもしない結果に心を揺さぶられず、臨機応変に当たらねばならない。
甲案件は、自分が苦手な分野のスキルを活かさねばならなかったのだ。その一方、自分が嫌いでない他の作業は時間的余裕が比較的あり、内容も毎回決まったもので、反対の性質を持っていた。自分の表現し難い悩みが明らかになり、少しスッキリした。
しかし、だからと言ってタスクを減らしてもらえるわけではないだろう。むしろ自分の苦手意識がはっきりして、仕事がより嫌になってきた気もする。決まったことをのんびりやるだけで食っていけないのだろうか。
日々脳内のしょぼい回路をフル活用して働いており、かなりのエネルギーを使っている気がする。睡眠を長めに取るようにしているが、家に帰ったら寝るだけになりそうで、平日はプライベートも何もない。眠りについてそのまま目覚めなかったら楽だなあなんて思ったりもしている。
仕事帰りなのに、スマホで書きすぎた。