1年を振り返る ~おしごと~

2020年もあと1ヶ月を切ってしまった。あっという間だったような、そうでもないような。ただイベントごとが軒並み中止になってしまって、どこか味気なく空虚に感じるような1年だったように思う。

このエントリと次のエントリくらいまでは、1年を振り返ってみる内容としたい(残りの数週間で何かあるかもしれないけど、別にええやろ)。今回は主に仕事の話。

◆◆◆◆◆◆◆◆

2020年という年はCOVID-19を無しに語ることはできないと思う。本当にいろんな物事が変容してしまった。ウイルスの流行を受けて、配属先が早々に在宅勤務を開始したというのは大きな出来事であった。

顔を見せないで、会話をせずに、それでタスクを遂行していくというのはこれだけ難しいのかと痛感した。もとから文字だけのコミュニケーションというのは感情・表情が読み取れないせいで苦手意識があったので、目の前の画面に映っているマネージャーや客先の言葉の後ろに怒りや呆れ、失望、悪意が潜んでいるのでは?という錯覚(であると信じたい)に見舞われうまくパフォーマンスを発揮できなかったり、それを恐れて仕事になかなか手がつかなかったりという事もあった。

家という労働から隔絶されたはずの生活の空間に労働が入り込んできたこともすごく影響した。とにかく「仕事するぞ」というスイッチが入らないし、体調も落ち着かない。ぼんやりと仕事していたし、効率も上がらず、頭は眠ったままのような感じだった。なんとなく顔が火照って*1「発熱か?」と錯覚したり、午前中の勤務を終えても全く空腹にならなかったり、首や肩が異常に凝ったりしていた。

あれだけ嫌だ嫌だと愚痴をこぼしていた通勤*2が無くなるので、在宅ワークのメリットは大きいように思っていたが、「外の空気を吸って(駅間の乗り換えなどで)歩く」という行動で心身のバランスを取っていたという一面もあるのでは?と気付かされた。

今年のはじめくらいには「君を上に昇進させようと思う」という自社の上司の意向から、上司から課題を与えられたり、悩み事を相談しても論理的な解決と努力を求められたりするようになったというのも大きな出来事だった。上司の言葉はいつも正論でロジカルであった(この業界はとにかくロジカルで、時折窮屈に感じる)。少なくとも自分が仕事の愚痴や不満・不安について打ち明けても正論を吐かれて終わってしまうことが多く、自分の感情に理解を示してくれることはなかった。だんだんとコミュニケーションを取るのが嫌になっていった。

上司から「こういうふうに考えてほしい」「こういう風になってほしい」と指導をされるたびに、それができていない自分にすごくイライラするようになっていた。なぜできないのか、なぜ身体がついて行かないのか、もっとできるのではないか、努力不足、忍耐不足ではないか…。自分で自分を追い込みすぎてどうしようもなくなるということもあった。周り(配属先、自分の会社、Twitterのフォロワーetc.)でハードワークしている人達がみんなすごい人物に見えてきて、逆に「これが普通なのでは?」と思ったりして劣等感に苛まれている。

今までは、とにかく指示に従って愚直にやることで評価が上がっていったのである意味楽であった。ところが今は逆に人を動かしたり、様々な立場の人間の言うことに耳を傾ける必要があったり、日本語を話すのに日本語が通じない人間の相手*3でコミュニケーションの方法に工夫を迫られたりと、真面目一辺倒では通用しなくなってきた気がする。新卒で就職してからのやり方や考え方が否定された(というか、行き詰まった)ので、「仕事と自分の生き方」というテーマを考えると折返し地点のような、フェイズ1が終わったような感覚である。

在宅ワークの一般化による普段の仕事の進め方、仕事に対する考え方の変容に頭も身体も追いついておらず、「あるべき」自分と「今ある」自分のギャップが埋まらず、とにかく仕事をしていて心理的にきついと感じるような、そんな1年であった。

あまり明るい話題が書けなかったので、次は趣味とかの話にしよう。

*1:今思うと自律神経がおかしかったのだろうか

*2:主にラッシュ時の混雑、ギリギリの出勤で急ぎたい気持ちと裏腹に間隔調整と称した徐行や停車を繰り返す電車に毎日ストレスを感じていた

*3:それぞれ別の職場にいたその類の人間が一緒に夢の中に出てきた。これは昨夜くらいの話だ。